保育士が知りたい児童家庭福祉の成り立ち

19世紀のアメリカの児童救済

19世紀のアメリカの児童救済

19世紀のアメリカは、イギリスの救貧法に強い影響を受けており、
貧困は社会的背景によるのではなく、個人の怠惰によるという認識がありました。

 

ですから、アメリカでは貧困問題への救済は、普遍的なニーズではなく、
特殊なニーズとして扱われがちで、
国家的な救済政策は立ち遅れていきました。

 

1929年、大恐慌へと陥り、アメリカは大量の失業者を抱える事になりました。

 

しかし、大恐慌によって個人の慈善救済では間に合わなくなるまで
殆ど国家的な対策をしていなかったアメリカの児童救済は、
かなり遅れをとってものでした。

 

1930年代に入ると、ルーズベルト大統領の下で、
ニューディール政策が行なわれ、1935年の社会保障法などの一連の社会政策がされました。

 

この社会保障法では、子どもを扶養する貧困家庭を対象とした
「要扶養児童家族扶助(AFDC:Aid to Families with Dependent Chilren)」
が、スタートしています。

 

「要扶養児童家族扶助(AFDC:Aid to Families with Dependent Chilren)」は、
世帯単位の現金扶助制度で、
親の不在や障害、死亡、失業によって養育を欠く18歳未満の
貧困児童の援助が目的となっています。

 

そして、「要扶養児童家族扶助」を受給している母親も、
1964年の「経済機会法」の「就労経験プログラム」で、
義務教育就学前児童を抱える場合を除き、
就労や職業訓練の登録を義務付けています。

 

また、1965年には、「貧困戦争」の一環として、
ヘッド・スタートが開始されました。

 

ヘッド・スタートとは、危機的状況にいる家族に対し、
乳幼児期より早期教育の充実を目指した包括的な就学前教育プログラムのことです。

 

1970年以降、徐々に保守へと移行したアメリカは、
1980年代にレーガン大統領がレーガノミクスという独自の経済政策を打ち出し、
福祉削減の傾向を強くしました。

 

レーガン大統領は、「古きよき時代のアメリカに帰ろう。」
と言うキャッチフレーズを唱え、
保育サービスの外部化の傾向を自粛しました。

 

そして、自立援助型の社会福祉政策を推し進め、
ソーシャルワーカーの関心は、直接援助技術が中心になりました。


ホーム RSS購読 サイトマップ