保育士が知りたい児童家庭福祉の成り立ち

日本古代の児童家庭福祉

日本古代の児童家庭福祉

日本の古代社会は、血縁関係を基礎とした氏族社会で、
共同で作った作物などをみんなで共有する原始共産制社会でした。

 

そこでの福祉的なかかわりとしては
血縁に基づいた連帯感によって相互扶助が行なわれ定増したが、
原始共産制社会は、自然に左右される生産力が弱い社会でもあったことから、
社会的弱者である子どもは売られたり、殺されたり、
虚弱児や病児などは自然淘汰されるなどしました。

 

その後仏教が伝来します。

 

仏教は聖徳太子の庇護を受けて、
社会救済事業の形を取り、政治の中に根を下ろし始めました。

 

わが国の社会事業史の源流は、
聖徳太子が593年に難波の四天王寺に建立したと伝えられる「四箇院」で、
この四箇院は、施薬(薬草を栽培する施設)・療病(病人を治療する施設)・
悲田(孤児や飢えた人を収容する施設)・敬田(文化的教化事業を行う同情)の
4つからなる大きな施設でした。

 

聖徳太子の重視した理念は、聖武天皇、そして光明皇后へと引き継がれました。

 

階級の差が歴然とし、貧富の差が大きくなると、718年、公的救済制度「戸令」で規定されました。

 

しかし、これらの救済は国家によるものではなく、
知人や親類によって地域単位でなされる方法でした。

 

そこで実際には、僧侶や尼僧の活動に頼っていました。

 

法均尼による捨て子の養育事業等は、この表れだといえるでしょう。

平安時代

平安時代になっても、制度としての「戸令」は効果が薄かったため、
悲田院での孤児の収容に頼っていました。

鎌倉時代

鎌倉時代になると、幕府と御家人をつなぐ忠孝思想が社会の規範になりました。

 

そのピラミッド型の封建社会は家族一人ひとりの役割までも縦型の関係とし、
児童は親に絶対服従するという関係でした。

 

そして、児童の地位は認めず、単なる労働力とみなされ、
児童は売買され、人身売買の道具として公然と犠牲にされていました(山椒太夫)。

 

しかし、当時の政府は、児童の人身売買については、
たびたび禁止令を出しています。

 

ですが、飢饉が度重なり、暮らしの苦しさから
親が子どもを売るケースはあとを絶たず、
積極的な救済策が出されないまま、仏教による慈善活動に頼らざるを得ない状態でした。

 

この時代には、児童に対して慈善を行なった忍性という僧侶がいました。

 

忍性は、鎌倉の人々から「忍性菩薩」と呼ばれていました。

 

捨て子を養育し、行き倒れの人を助け、沐浴をさせ、
道を作って橋をかけ、井戸を掘って植林をし、
薬草を植える・・・など、多くの慈善事業を行い、人々の暮らしを助けました。

室町時代〜戦国時代

日本の室町時代から戦国時代の頃は、戦乱が相次いでいました。

 

そのため、農民や町民の暮らしは貧しく、
地域での相互扶助も機能しない状態が続き、
堕胎や間引き、捨て子、子女の身売りが横行し、
常に子どもは生存の危機に直面している状態でした。

 

聖徳太子の時代から行なわれてきた仏教による慈善救済活動は、
京都や鎌倉等の政治の中心部から広がったため、
中央から外れた地域では、貧困に苦しむ病院や子ども達が
悲惨な状況の中暮らしていました。

 

そのような時に来日したのが、
フランシスコ・ザビエルです。

 

ザビエルは、来日し、長崎や大分等の孤児や病人、老人などの弱者の救済を行いました。

 

その後、来日したのは、ルイス・デ・アルメイダです。

 

ルイス・デ・アルメイダは、ポルトガル人の貿易商で、
自分の財産を放出して捨て子や孤児のための育児院を建て、
西洋医学の知識によって牛乳の授乳による新しい栄養乃取り方を教える等しました。

 

このように、救済活動に献身したルイス・デ・アルメイダは、
後に司祭となって九州各地をめぐり、教会や学校、病院を建設しています。

 

また、その後もキリシタン弾圧の中、宣教師や修道女たちは、
孤児や貧困誇示のための養育施設や救助院、保育所や学校を立てて、
布教活動を行ないました。

 

日本におけるキリスト教社会事業は、このようにしてスタートしています。

江戸時代

江戸時代になり徳川幕府が中央集権化を強めました。

 

民衆は藩と幕府の二重の搾取に苦しみ、
天災や飢饉によって生活が圧迫され、
農民は食糧難に陥り、百姓一揆が多発。

 

食糧難のために堕胎や間引きも後を絶ちませんでした。

 

徳川幕府は、将来の人口の減少を考え、
1690年に棄児禁止の布令を出しました。

 

この棄児禁止の布令は、実子を捨てたものは流罪、もらい子を捨てた者は獄門、
もし絞殺した者は引き回しの上はりつけにする」という厳しいものでした。

 

1767年には、間引き禁止令が出され、
全国的な人口停滞や減少に際し、各藩は農村人口を確保するため
藩内の妊婦を調べ、社会の治安と統制を目的に「五人組制度」を設けるなどし、
対策をとっています。

 

さらに、出産後の間引きを防ごうと、出産に村役人をたちあわせるなどしました。

 

江戸小石川療養所(現/東京都養育院の源)が病人の救済施設として設置されたのが1722年、
深川窮民救育所や町会所が設置されたのは1791年です。

 

老中松平定信が設けた町会所は、貧民孤児のため、
毎年町費の7割を積み立てて非常の際に役立て、
窮民御救起立(きゅうみんおすくいきりつ)によって貧窮者の救済を定める等しています。

 

幕末まで、このような総合的救貧機関は続き、
日本の社会事業発達の歴史に大きな意味を持ちました。

明治時代

政府が、富国強兵を国のスローガンとしていた明治期。

 

社会の近代化を急ぎ、積極的に貧窮者への救済対策に取り組んだ時期でもあります。

 

政策としては、1871年の「棄子養育米給与方(すてごよういくまいきゅうよかた)」、
1873年の「三子出産の貧困者へ養育料給与方」を定め、
1874年には、半世紀以上存続した全国的な救貧制度「恤救規則(じゅっきゅうきそく)」が公布されています。

 

「恤救規則」は、1929年の「救護法」まで、日本における唯一の公的救済立法でした。

 

ただし、「恤救規則」は、「人民相互の情誼」による解決が原則であったため、
運用は制限的で、制度として国家から援助を受けることがなかった児童養護施設は経営が成り立ちませんでした。

 

明治期のある施設では、一年間に入所した子どもが、
40%近く死亡したというデータも残っています。

 

さて、明治期には民間による慈善事業も広まっています。

 

・石井十治「岡山孤児院」

 

石井十次は、孤児院では、慈善を単なる救済ではなく教育事業であると考え、
1887年、「岡山孤児院」を設立しています。

 

「岡山孤児院」は、バーナードホーム(イギリス)の制度を取り入れ、
孤児を10人ほどの小集団家族に分けて小寮舎に住まわせ、
「主婦」と呼ばれる保母に、孤児の衣食住の世話をさせました。

 

・石井亮一「滝乃川学園」

 

石井亮一は、知的障害者施設としてわが国最初の施設「滝乃川学園」を
1897年に設立しています。

 

・留岡幸助「家庭学校」

 

当時、障害児対策は遅れていて、全国感化院入所児童の40%が知的障害児であったため、
その急務が急がれていたところでの設立でした。

 

「感化院」は、1900年の「感化法」によって制度化されています。

 

感化法は、不良行為をなし、またはなす恐れがある少年を入所させ、
教化するための法律で、感化院は、現在の児童自立支援施設のことです。

 

明治の感化院では、留岡幸助が設立した家庭学校が有名です。

 

留岡幸助は、受刑者の殆どが少年時代から非行に走っていたことを知り、
単身渡米し、犯罪少年の教育的処遇や監獄改良法を学び、
帰国後、非行少年に良い環境を与える事の必要性を説きました。

 

そして、1899年、巣鴨に家庭学校を設立し、
1914年、北海道家庭学校を設置しています。

 

家庭学校での基本は、「基礎学力の附与」、「農業を主とする作業」、
「宗教による霊性教育」、「保健体育」の4点で、
教師夫妻がつくる家庭的な雰囲気の中で、
生活全般に渡る指導が行なわれました。

 

・方面委員制度

 

1918年、大阪に発足した方面委員制度(民生委員)により、
実子促進運動が推進されました。

 

・工場法

 

日本でも産業革命が進むと生産性向上のため、婦女子や児童は
安価な労働力として工場で酷使される様になりました。

 

紡績女工の悲惨な状況が書かれた「女工哀史(細井和喜蔵)」は有名です。

 

この「女工哀史」にも書かれているように、町工場での労働時間は
17時間に及ぶ事もあり、
このような悲惨な労働状況の中、病気になる児童や死亡する児童が後を絶ちませんでした。

 

政府は、児童の死亡率を減らす事を目的に、1911年「工場法」を制定しています。

 

工場法では、就労は12歳からとされ、労働時間は一日12時間が限度になりました。

 

1920年の経済恐慌、1923年の関東大震災により、
国民の生活は一層困窮し、恤救規則では対応できなくなったことから、
これにかわる救貧制度「救護法」が1932年に制定されています。

 

救護法の対象者は65歳以上の老衰者、
13歳以下の児童、身体障害によって働くことができない者などとなり、
以前よりも対象が幅広くなっています。


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